白いご飯は、銀舎利と呼ばれますが、仏陀の骨にも見立てられてきました。
私たちの世代までは、ご飯を一粒でも残すな、と親から叱られたものです。
農学者のWさんは、日本人は米食民族ではなく、米食悲願民族だと指摘していますが、確かに日本人はコメばかりを食べ続けてきたのではなく、コメを食べたいと願い続けてきた、といった方が正確でしょう。
しかし六○年代以降には、食生活の洋風化に伴い、コメの消費は低下の一途をたドとります。
ただ減反政策を続けながらも、全般に低い食料自給率のなかで、唯一主食用が一○○パーセントに達しているのは、コメにこだわり続けた歴史の成果と考えてよいでしょう。
これも日本における歴史の産物です。
古代国家が採った殺生禁断令は、先にも述べたように、肉食そのものを禁じたわけではありませんが、当時の社会的生産であったコメ作りには、マイナスに作用するものと考えられていました。
また仏教の影響もあって、殺生が罪悪しきれましたが、これを神道でも不浄つまり積れとみなすようになりました。
実は不浄も仏教用語なのですが、神仏習合の進展に伴い、神道でも理論化がすすみ、浄・不浄という柳餓を、清め・穢れという風に置き換えました。
それゆえ古代・中世には、死や出産や肉食が、穢れとして罪悪視されていったのでません。
しかも興味深いここには、次の共食の問題にも関わるのですが、合火三日、又合こくに九世紀ごろから触稜観念が強くなり、一○世紀の『延喜式』では、肉を食べた場合には三日間穢れるので、この間は物忌みせよ、と定められています。
さらに二世紀ころから、こうした傾向がますます進み、一四世紀初頭の伊勢神宮の物忌令には、イノシシやシカを食べたものは、一○○両口穢れるこされています。
この間には、参拝でき親鴬の言う”悪人”とは狩猟や漁携をする入このことをよく理解し、肉食という罪悪と稜れを背負った下層民たちを救おうとしたのが、法然や親鴬など鎌倉新仏教の創始者たちでした。
厳密には、それ以前にも同様な火七日などとも記されています。
これはAがシカを食べて一○○日積れたとすると、その友人BがAの穢れ期間内に一緒に食事をした場合に、Bも三日穢れるというものです。
きらにAなど全く知らないCが、そのBと一緒に食事をすると、さらにCまでもが七日間の機れとされてしまいます。
こうして肉食は、”穢れた”ものとして、中世を通じて、社会的に否定されていくのです。
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